物心合一説

 (十) 表象の轉換――無目的

 自然即心靈、物心合一説も一種の形式ではあらうが、井上博士の樣に、わざ/\客觀的實在と主觀的實在とを別ち、存在その物をこと更らに分割して説明することが出來ようか。博士は、『精神は滅とも不滅とも云ふを得べし、唯々其立脚點の如何によるのみ、吾人が個體的精神と認定するもの...

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現象即實在論

 然し、純不純は別に論ずるまでもないので、この明鏡に映つるものは何か[#「この明鏡に映つるものは何か」に白三角傍点]といふ問題を定めて置きたい。僕は前に、完全な唯心論ならば、何も外界を否定するに及ばないと云つて置いたが、エメルソンは理法といふものを仲人《なかうど》として、自然を心靈のうちへ入れてしま...

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大乘佛教の極致ともいふべき法界縁起説

 この問題は、佛教では甘く説いてある。大乘佛教の極致ともいふべき法界縁起説[#「法界縁起説」に白三角傍点]で――これに就ては、天台と華嚴とで常に爭論があつたが――萬法はこれ一、一はこれ一切だといふ。たとへて云ふと、易では二、揚子は三、邵子は四の數を以つて秘訣とした通り、華嚴經では、十の數を以つて説明...

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