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三名の神秘家

 (十一) 流轉と生命

 三名の神秘家は頻りに理法といふことを説いて居るが、別に理法と云つて、心につかまへて置くべきものはなからう。そんな物を想像するから、メーテルリンクの樣に未知の理法など云つて、分らないところから一つの糸筋を引つ張つて來ようとするし、またエメルソンの樣に、理法の靈化することを云...

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墮落した萬有神教

 かう云へば、墮落した萬有神教だと攻撃するものもあらうが、別に崇拜する念を起さなければ、何も耶蘇教でいふ神と競爭するわけもないし,且、萬有神教の絶頂に登つて居るスピノーザの樣に、心と物とは一つの本體の二方面だといふ見解をも取らないから、個々別々な物の外に無限に重大な御神體があるとも思はない。存在して...

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物心合一説

 (十) 表象の轉換――無目的

 自然即心靈、物心合一説も一種の形式ではあらうが、井上博士の樣に、わざ/\客觀的實在と主觀的實在とを別ち、存在その物をこと更らに分割して説明することが出來ようか。博士は、『精神は滅とも不滅とも云ふを得べし、唯々其立脚點の如何によるのみ、吾人が個體的精神と認定するもの...

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