[ カテゴリー » 日 記 ]

墮落した萬有神教

 かう云へば、墮落した萬有神教だと攻撃するものもあらうが、別に崇拜する念を起さなければ、何も耶蘇教でいふ神と競爭するわけもないし,且、萬有神教の絶頂に登つて居るスピノーザの樣に、心と物とは一つの本體の二方面だといふ見解をも取らないから、個々別々な物の外に無限に重大な御神體があるとも思はない。存在して...

このエントリーの続きを読む≫

— posted by id at 02:38 pm  

物心合一説

 (十) 表象の轉換――無目的

 自然即心靈、物心合一説も一種の形式ではあらうが、井上博士の樣に、わざ/\客觀的實在と主觀的實在とを別ち、存在その物をこと更らに分割して説明することが出來ようか。博士は、『精神は滅とも不滅とも云ふを得べし、唯々其立脚點の如何によるのみ、吾人が個體的精神と認定するもの...

このエントリーの続きを読む≫

— posted by id at 02:37 pm  

現象即實在論

 然し、純不純は別に論ずるまでもないので、この明鏡に映つるものは何か[#「この明鏡に映つるものは何か」に白三角傍点]といふ問題を定めて置きたい。僕は前に、完全な唯心論ならば、何も外界を否定するに及ばないと云つて置いたが、エメルソンは理法といふものを仲人《なかうど》として、自然を心靈のうちへ入れてしま...

このエントリーの続きを読む≫

— posted by id at 02:36 pm  

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.0198 sec.

http://liquiddesign.biz/