飽満《はうまん》と寂蓼とは同じでない

 しかし満されざる心と餓やされたる心とは同じでない。飽満《はうまん》と寂蓼とは同じでない。倦怠と憧憬とは同じでない。それでゐてこれが同じであると言はなければならなくなるのは何の故であらう。死にまで深く染着《せんちやく》した心は美しくはないか、勇ましくはないか、雄々しくはないか、また優しく悲しくはない...

このエントリーの続きを読む≫

— posted by id at 12:06 pm  

白樺色《しらかばいろ》の蝙蝠傘《かうもりがさ》

 土手の上には、白樺色《しらかばいろ》の蝙蝠傘《かうもりがさ》と派手な鼻緒のすがつた下駄と…… かうした光景は其処にも此処にも起つた。広い世間には、かうして自《みづか》ら殺すものが何人あるかわからない。現に今でも、かうして寂然《じやくねん》としてかれが坐つてゐる間にも、さういふ悲劇が何処かで繰返さ...

このエントリーの続きを読む≫

— posted by id at 12:05 pm  

土手の上

 土手の上には、人や車が陸続として通つてゐた。氷店、心太《ところてん》を桶《をけ》に冷めたさうに冷して売つてゐる店、赤い旗の立つてゐる店、そこにゐる爺《おやぢ》の半ば裸体《はだか》になつた姿、をりをりけたゝましい音を立てて通つて行く自動車、川の向うに見えてゐる大きな煙突から渦《うづ》まきあがる煤烟《...

このエントリーの続きを読む≫

— posted by id at 12:04 pm  

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.1047 sec.

http://liquiddesign.biz/