仙臺に居た時の經驗

 矢張り仙臺に居た時の經驗であるが、僕は自殺しようと思つたことが二三度ある。その最後の時は、前日に二三の友人に伴はれて、かの青葉城のうしろにある、政宗の立退路《たちのくぢ》と云はれる谷へ、化石を拾ひに行つた。こゝは、自然の開鑿とは思はれない程、規則立つて幅の狹い、また、底深く切り下げた谷合ひであつて,幾條にも道が分れて居るので、どこまで續いて居るのか知れないし、大きな樹がその兩方の絶壁の上からかぶさつて居るので、晝も尚うす暗いところだ。こゝで、あやしな死に神がつきかけたのだらう、高いところからこの谷底に身を投げて、死んでしまはうと决心をした[#「高いところから」~「决心をした」に傍点]。それで、翌日、ひとりで朝早くから家を出て――前日は城の左から下つて行つたのだが――今度は反對に右手の出口から、谷へ這入《はい》らないで、その崖のふちに添ふて登つて行つた。どういふ拍子か、道に迷つて、前日定めて置いた塲所が見えるところへ來なかつたが、同じ谷の分れで、高い絶壁の上に、さかさまなりにくねつて出て居る松の枝があつたので、それを渡つて、今や身は幾仭の空中に氣魂を奪はれようとしたとたんに、幽かに僕の心耳に響く聲があつた。眼を開いて谷底をうかがふと、それは細い流れの潺々《せんせん》[#入力者注(5)]たる響きであつた。何だか、自分は夢を見て居た樣な氣がしたが、その谷川へ眞直ぐにいばら、茅の根などを辿つて下りて行つて、清い水を一口飮んだ時は嬉しいやら、悲しいやら、兎に角一生の渇を癒した氣持ちがした。この時から、僕は生命を重んずる心が起つたのである[#「この時から、僕は生命を重んずる心が起つたのである」に傍点]。どうせ死んでも、何かに生れ變るのであるから、自分の心に神はなくなつても、戀は遂げられなくつても、現世に苦痛があるなら、來世にもあるに相違ない[#「現世に苦痛があるなら、來世にもあるに相違ない」に白丸傍点]から、寧ろ今の僕に執着して、活動しようと思ひ返してしまつたのである。 神にも苦痛があるとは、たしかカライルが喝破したのである。苦とは何かと問ふのは、既に道學者の口吻か、宗教家の方便かを眞似て居るので、すべて僞善者の態度と云つて善い[#「苦とは何か」~「態度と云つて善い」に傍点]。苦痛の絶えないのは事實である。人間は弱いものであるから、失戀だの、絶望の塲合に立ち至ると、直ぐ死んでしまいたい氣になるものだが、死んでも死ねないものが、それにつき纒つて居る苦痛ばかりを斷つてしまへると思ふのは間違ひである。全體、自殺[#「自殺」に白三角傍点]といふことは、自我の外にまた非我なるものを設けてから出來る芝居であつて、この表象的悲劇[#「表象的悲劇」に傍点]の裏面から見ると、これがまた裏面にある表象の意味して居るところと同じであるのだ。かういふ譯からして、シヨーペンハウエルの斷言した通り、僕等は苦痛をそのまゝ男性的勢力を以つて辛抱するより外はないのである。自我の最も發揮するのはかういふ時だ[#「自我の最も發揮するのはかういふ時だ」に白丸傍点]。フレデリツキが周圍の外敵に追迫されて、自分の國どころか、自分の身の存在に窮し、腰の劍を拔いて、わが身でわが身を刺さうとしたが、たゞこの危急な瞬間に堪へた時、既に大王たる資格は定つて居たのである。然し、これは絶望と苦痛とがなくなつたのではない、僕があとから云はうとする文藝的慰籍を得たからであるのだ。

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