遺傳と運命

 メーテルリンクは遺傳と運命とを云つたが、この兩者は、流轉といふ不可思議な黒水の流れ[#「流轉といふ不可思議な黒水の流れ」に白三角傍点]に潜んで居るもので――眠つて居た心靈が、どこか遠方の森かげで、ほら穴の中に目が覺めて、その顏を洗ふ時、幽玄な曉の光に初めてそれに氣が附くのである。その心靈とは外でもない、僕等である。それで、また、僕等の立ち塲はたゞ一刹那にあるので、その刹那/\を空しく逃がさない樣にするのは、なか/\骨である。この骨折は、丁度一つの石を水面に投げると同じで、出來た波の輪は段々廣がつて行つて、過去や未來の云ふに云はれない無限際から、悲愁と苦痛との響きを傳へ返すのであるから[#「丁度一つの石を」~「傳へ返すのであるから」に傍点],之に氣がついた上に、尚踏みこたへなければならない僕等の運命は實につらいものだ[#「之に氣がついた上に」~「實につらいものだ」に白丸傍点]と分つても、心の自然になつて來るものであるから、夜の夢にうなされて居る樣に、どうしても之を振り拂ふことが出來ない。僕等の生命はその上を流れて居るのである。 僕等はぬる/\した蛇にはなりたくない,然し、その鱗の樣なものは僕等の毛穴から吹き出て來る。蛇を水平線とし、人を直立線とすれば、直角が出來る、この神秘的四分圖の間に、活動物はすべてその位を得て居るといふことがあるが、僕等が腹這ひになれば、もう蛇體ではないか。その上、手足も蛇の形で、その先きには細い蛇がまた二十匹もついて居る。若し蛇に意識があるとすれば、人間は澤山の蛇から出來た木とも見えよう[#「若し蛇に」~「木とも見えよう」に傍点]。運命は目的もなしに僕等を持て遊んで居る[#「運命は目的もなしに僕等を持て遊んで居る」に白丸傍点]ので――つらいとは思ひながらも、尚、僕等は生きたいのである[#「つらいとは」~「生きたいのである」に白丸傍点]。日本や希臘の古代の樣に、狹い光明の中に生活して居た時には、物の調和だの、自然の美だのに滿足して居たので、かういふ深い感想はなかつただらうが、僕等にはその當時の人々の樣な太平樂は云つて居られないのである。然し、生きたいのは渠等と同樣であつて、生命を乞ひ願ふのは僕等が心靈の本能であるらしい。それもその筈で、死ぬといふのは別な形に變はるばかりのことであるから[#「それもその筈で」~「ことであるから」に傍点]、一つの表象が他の表象に移るだけで[#「一つの表象が他の表象に移るだけで」に白丸傍点]、死といふものはないのである[#「死といふものはないのである」に傍点],無闇な物に轉ずる位なら、たとへ蛇に似て居ようが、棒振りに類して居ようが、今の形と精神とを以つて、殘つて居たくなるのは、僕等の執着心から云つて當り前のことだ。慣れない苦勞をするよりも慣れたまゝの苦勞は、そのうちに親みも出て來る。僕が現世主義を起點[#「現世主義を起點」に白三角傍点]としてあるのは、この事實を知つてからで――死なうとしても、どうせ死なれないのではないか。

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