三名の神秘家

 (十一) 流轉と生命

 三名の神秘家は頻りに理法といふことを説いて居るが、別に理法と云つて、心につかまへて置くべきものはなからう。そんな物を想像するから、メーテルリンクの樣に未知の理法など云つて、分らないところから一つの糸筋を引つ張つて來ようとするし、またエメルソンの樣に、理法の靈化することを云はなければならないことになるので――つまり、因果律のことを云つて居るのであらうが、これは時空といふものを假定して居る習慣から出て來るばかりのことで、未然に分らない理法があると云つたり、理法は心靈の光線であると云ふのは、僕の表象無目的説[#「表象無目的説」に白三角傍点]では、歸するところ流轉の變名[#「流轉の變名」に傍点]と見なければならない。 流轉といふことは、神秘説にはどうしても脱しられない[#「流轉といふことは、神秘説にはどうしても脱しられない」に傍点],佛教では勿論だが、プラトーン、スヰデンボルグ、エメルソン、メーテルリンクなど、皆之を云つて居る。物靈界を流轉する遊動者は、すべて勝手氣儘に流轉をして居るのであるから、他に向つて恐るゝといふことはない,自生自發、たとへば、かの棒振り[#入力者注(13)]がどろ水の中にぴんぴこ跳ねまはつて、その位置を轉じて居る通り、外面から見ると、嬉しさうで、樂しさうで、何の苦もない樣である。然し、これは、スピノーザの所謂自由、乃ち、内部から來る必然[#「内部から來る必然」に傍点]であるだけに、若しうツかりして居ると、却つて非常に意外な驚愕と恐怖とが來ないでもない。たとへば、一刹那の奮勵を怠つた爲めに、天女となるべきものが長い蛇となつたり、また、暗黒の境に這入ると思つたのが、急に光明界の星となつたりする時を云ふのである。これに類したことは、僕等が日々の經驗にもあることである。

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