『正義の不可思議』

 メーテルリンクは『正義の不可思議』(これは未だ僕は見ないので上田敏氏の譯による。)といふ論文に於ても、本能の威力と心中の正義衝動とを同一であるか、どうか、疑問にしてある。然し、神秘なるものがいづれ分つて來るものだとすれば、別にかれこれ云ふべき程のものではなからう。自然主義[#「自然主義」に白三角傍点]が眞直ぐに進んで行く間に、いつも神秘なるものが感じられる[#「が眞直ぐに」~「感じられる」に傍点]のであつて、これは何も不可解を一時面白がるのではない、自然と本能との奧には、とこしなへに知力の及ばない神秘性が潜んで居るのである。僕が先きにメーテルリンクとは思想上の兄弟分だと云つたが、それは僕等の出て來たところが一つだといふ意で、飽くまでも同じ事を云つて居るといふわけではない。それは、これから説くことで分るだらうと思ふ。 僕がこれから云はうとするのも、議論としては、どうしても知力の働きを借らなければならないが、科學と知力とばかりを手頼りとして居る人々の『明瞭』だと思ふ範圍では、まだ/\滿足が出來ないのである。これは、何も思想力が弱いとか、頭腦が不良だとか云はれるべきではない、寧ろ渠等よりも奮發して、自我の覺醒[#「自我の覺醒」に白丸傍点]に入らうとするのである。

 (九) 自然即心靈

 萬法は詮じ詰めれば多と一とになると、プラトーンも云つてあつて、スヰデンボルグはその初め、科學的熱誠を盡して、多のうちに一なる符合を見出さうとした。シエリングは、あとではベーメの思想を受けて、全く神秘的になつてしまつたが、その前には無差別哲學を主張して、多なる自然界が一なる心靈界を生み出すのだと云つた。シヨーペンハウエルは之を上から見て、一切の無機的、有機的世界の自然力には、たゞ一個の意志が客觀の形、乃ち、表彰を以つて表現して居るので、その間には意匠の統一がある――相反して居るやうに見えるのは、同一の力がその方向を違へて居るに過ぎないのだと説明した。

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