僕の思想上に大變化が起つた

 その頃から、僕の思想上に大變化が起つた[#「その頃から、僕の思想上に大變化が起つた」に傍点]――尤もこれは、エメルソンを讀むのは危嶮だといふ宗教家輩から云へば、渠の影響が覿面《てきめん》[#入力者注(5)]に來たのだと嘲るだらうが――早くからたゝき込まれて居た、耶蘇教の神が分らなくなつて、之を棄てゝしまつたし、また自分の愛して居た少女が理想のものでなかつたり、一親友が急に死んだりしたので、精神は非常に錯亂して來た。それに、家の關係上、文學に少しでも手を出すなら、學校生活は續けられなかつたので、某校で理財科を終つてから、政治科をやらうと思つたのを斷念して、仙臺へ行つた。政治家になりたいなどいふ考へは微塵もなくなつて、それからといふものは、專ら詩的修養をするのが自分の生命になつた[#「それからといふものは、專ら詩的修養をするのが自分の生命になつた」に傍点]が、その時は毎週の自修科目を時間に割り當てゝ、萬葉集と詩經とシエキスピヤとミルトンと獨逸語と希臘語と梵語とを研究した。梵語研究などは、金がなくツて、道具が揃へられないので直《ぢ》き中止をしたが、その間にでも、エメルソンは最も面白いので、毎日一回づゝ出て來た科目はこればかりであつた。 そこで、當時、エメルソンを樂天家だとは知らなかつたのである[#「そこで」~「知らなかつたのである」に白丸傍点]。たゞ字引と首引きで讀んで行くうちに、無性に自分の精神が引き立つて來て、もう、絶望と死の苦みとを感得したと思つて居る自分に取つては、句々節々があらたの悲愁を養つて呉れるやうで、それがたゞ愉快であつたのだ。二年程|經《た》つうちに、エメルソンの形式的方面が厭になつたので、斷然棄てゝしまつたが、その同情的精神の沈痛なのには、當時、自分の頭腦と胸奧とはかき亂されて、また整へられて居たのだ[#「二年程」~「また整へられて居たのだ」に傍点]。或時など、廣瀬川といふ川のほとりに坐わつて、エメルソンを讀んだが、秋の日はもう沈んだあとで、閑寂のうちに川水の響が何となく奧ゆかしく聽え、ゆふぐれの景色は惻々われに迫つて來た。これは丁度僕がエメルソンの暗示に接する時の樣で、手にした全集のおもては、薄暗い空を飛びかふ夜の羽がひと一緒になつてしまつた樣であつた。そこへ二つ三つ飛んで來たものがあつた。驚いて見まはすと、向ふ岸から小供が二三人、僕を目がけて、狸だ/\と呼んで、石を投げるのであつた。――エメルソンはつひに、僕を、狸と呼ばれる程に、幽暗なところへつれ込んだのであつた[#「エメルソンはつひに」~「つれ込んだのであつた」に傍点]。 渠を讀んで利益のあるのは、僕等の思想を獨立さして呉れるし、僕等に獨創の見地を發見さして呉れるからである。厭世とか樂天とかいふことは、かれこれ云ふまでもない。その文體[#「その文體」に白三角傍点]をたとへて云へば、一條の流れが涓々《けんけん》[#入力者注(5)]として走り來つて、灣曲また灣曲、渦を卷いてみどりの淵になると、堤上に生へて居る灌木の影を浸して、その深い穩かな水面がまゝ破れて、大きな魚の躍如として跳ね飛ぶことがあるのに似て居る。乾燥無味、内容のない樂天家には、到底エメルソンは分らないのである[#「乾燥無味」~「分らないのである」に白丸傍点]。僕等の心裡に起つて來る各事件を貫いて居る悲愁を、自分が深く實驗した上、これでは凡人を教へられないと悟つて、無理にも樂觀してしまつたのであるから、渠の樂天觀は素直でない、その唯心論と同樣、方便に過ぎないのである[#「渠の樂天觀は素直でない」~「方便に過ぎないのである」に傍点]。こゝに一つ、僕が『代表的人物』を讀んだ時に、そのふちへ書いて置いた覺へ書きを拔いて見よう――これは寧ろ渠の云つたことで、今の僕が持つて居る考へだといふのではない,[#ここから引用文、一字下げ]

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